【お役立ち情報メニュー】イーモリジュは圧倒的人気を誇るブログ:17年03月19日
もう30年も前のことである。
大学の卒業を目前にした二月、
卒論の提出も終わって時間があった私に、
バイトが急にやめてしまって、
次がみつかるまでの間でいいからと言われて
引き受けたアルバイトだった。
その店は、
マスター一人、アルバイト一人の小さな喫茶店だった。
勤め始めて1週間ほど経ったころの寒い夕方だった。
客も途切れ、暗くなり始めた町を行く人もまばらで、
「そろそろ閉めようか」とマスターが言ったとき、
店の表に親子連れが立った。
客は、二人の息子の手を引いた女の人で、
背中のねんねこにも赤ん坊が眠っていた。
どこか近在の村から出かけてきたママと息子であったろう、
腹がすいたと息子にせがまれて
通りかかったこの店に入ってきたのかもしれない。
私は水の入ったコップとおしぼりをテーブルに運び、
注文を聞くと、
ママは表のショーケースを指差すようにして、
「あの赤いうどんを下さい」と言った。
赤いうどん?
私は一瞬とまどったが、
イタリアンスパゲティだとわかり、
「三つですか?」と聞くと、「ひとつでいいです」と言う。
マスターは
私が注文を伝えた時にはすでに調理にかかっていたが、
できあがった一皿は、いつもより分量が多めだった。
取り皿にお箸を添えて運んだ。
息子達は口の周りを赤くして無心に食べている。
ママは下の息子に食べさせてやっていたが、
自分は一筋も口にしなかったようだった。
親子連れが帰った後、
マスターはひとこと「赤いうどんか…」とつぶやき、
「さあ、もう閉めよう」とあたりを片付け始めた。
それから間もなく私はその店を辞めたが、
そのママと息子のことは長く心に残った。